高所で寝るということ
よし、ホテルエベレストビューでのことを思い出そう。
まず、やっとの思いで到着した私たち。
いつも通りホットレモンが差し出され、ロビーにあった焚火の周りに座る。
しかしここでは先客がいて、ヨーロッパ系の男性4人が火を囲んでいた。
火を囲み、何か撮影をしていた。
なんだか本格的な雰囲気だった。
確か、もっと上まで行くと言っていた。
しばらくすると私たちは部屋に案内された。
働いている人たちも、室内でもダウンを着ている。
立派な内観のホテルで、みんながダウンで丸っこくてちょっと緊張もゆるむ。
客室はとても綺麗で素晴らしかった。
車も通らない高所にこんな立派なホテルを作るのには
どれだけの汗が流れたのだろう。
窓からはエベレストが見えた。
最高だ。ついにここに来た!
テーブルの上には1枚のラミネートされた紙があり、注意事項が日本語で書かれていた。
確かにちょっと頭痛がおき始めていた私は怯え、ここで高山病対策の薬を飲んだ。
ちなみに高山病の薬は高所に行く前から飲まないと意味がない。
が、気休めである。
この日は夕食を早めにとり(確か日本風のカレーだった)
前日とはうってかわって電気敷き毛布のついた大きなベットで各自眠る。
この電気毛布がとても暖かく、暑いくらいだった。
韓国製の電気敷毛布だった。
しかし、ぐっすり安眠とはいかず、
頭が痛いし長く眠れても2時間。
その度におきて水を飲み、トイレに行きの繰り返しだった。
高所でぐっすり眠るとことは慣れていない私たちには無理なことだったんだろう。
さらに2泊目の夜雄一の症状は悪化(ダメと言われていたのに3日間お風呂に入らないのが耐えきれず、シャワーを夜に浴びたためだと思われる)
サムイ、頭が痛い、ずっととうなされていた。
水を飲ませ、私も全然眠れず、朝まで寝たのか起きているのか、
意識はボヤーっと過ごすのだった。
ホテルエベレストビュー
さて。
お久しぶりでございます。
近頃私はまた活字中毒に陥り、
本を読み漁っております。
ときには同時に3冊読み始め、
冷静になるとそりゃ3冊同時なんて頭おかしいね、1冊ずつ読もう、という具合でした。
気になる本はチラッと先読みしたいんだよな~
ここ最近読んだ本、まぁ本当に
山の本はすいすい読める。
『青春を山に賭けて』植村直己さん、この人は、面白い。
世界の山にのぼる山屋でもあり、と同時に世界を駆け巡る冒険家でもあり、かなり惹かれた。アマゾン川をひとりで何週間もくだっていくところなんでわたしが時空を越えてハラハラしてしまった。ぴらにあこわいだろう。
アフリカに入って、現地民とふれあった時"わたしには国境などないと思えた"というところに激しく同意した。
植村さんの本はまだまだ読むつもりでメルカリで古本を買いまくった。
『タベイさん、頂上だよ』田部井淳子さんは、日本人女性初のエベレスト登頂を成功させた方だ。わたしゃエベレスト街道に行く前に買っていたがバタバタしていて読めず、改めて読んだ。
なんとまぁ、かっこいいお方なのだ。
家庭があって、出産して、家事と仕事と山と。家族や回りの人たちの協力がなければ、なし得ない。旦那さんの田部井さんが『行きたいところにいってこい!やれる!』と言ってくれる、本当にやさしくていい人すぎて、私は時空を越えて好意をいだいた。
そしてなんともまぁ女子とゆうものはやはり女性特有のねちっこさがあるなぁ~と思った。女性だけの登山隊。憧れるがねちっこさがこわい。でも、人間らしいね。
田部井さんの本に
"ホテルエベレストビューは情報伝達部隊につかわせてもらった"とあり、
おおおおおおお?!あそこが!?となり、急にまた親近感がわいた。そりゃ、異国のあんな高所に、日本人が作ったホテルだもの、日本人がアタックするときはよりますわな。
『こんなチャランポランなふたりが行ったところはすごいところだったんだねぇ』と雄一と私は縮こまった。
博物館〜ホテルエベレストビューへ
ナムチェから、30分ぐらい登ったところにその博物館はあった。
一番初めに目に止まったのはエベレストにエドモンド・ヒラリーさんと一緒に初登頂したシェルパのテンジン・ノルゲイさんの像。
なんていいところにあるんだ。
雲の流れが早いけど、8000m級の山々をバックにとっても眩しい。
博物館の中に入ってみる。
中にはひとっこひとりおらず、この地域の植物、動物、住民、生活様式、登山に関する歴史の展示物があった。博物館、大好き。
『コレ〜、私も登った時だネ』とリンジさんは言った。『ほら、ここネ』
「え!」と私たちは驚いた。
本当だ、リンジ・タマンとある。
ただの山好きガイドさんではなかった。そういえば、話をする中で、
日本の山もいいネ、と、北アルプスを登ったことがあると言っていた。
ここで私はヒマラヤに来る前に読み漁っていた本の中の
「神々の山領」を思い出す。エベレスト登頂は登山好きの人ならば誰もがきっと憧れる。登るためには私なんかでは想像もつかないようなたくさんの経験、トレーニング、精神力、費用が必要になのだろう。いざ、エベレストを目指して行っても、仲間と協力し体力を温存しながら登り、キャンプを設営し食事をつくり、体力、精神力、ベストな人だけがそのまた上に登り、他の人はキャンプで祈り帰りを待つ。
リンジさんもエベレスト登頂を目指したのだろうか。
『私はサウスコルまでネ、へへ』
と彼は嬉しそうに呟いた。
急にリンジさんをものすごく尊敬するようになって来た。
思い返してみれば今までのしっかりした足取りも、私たちへ「ビスタリビスタリネ(日本語訳:ゆっくりゆっくりね)」と何度も声をかけてくれる心遣いも、とにかくホットレモンを飲めという指示に至るまで、完璧ではないか。
「並んで並んで!」
ものすごくいい写真だ。
私はこの写真を気に入っている。
雄一くんはまだ白い。このあと彼はネパリー焼けを体験することになる。
その反対側にはヒラリーさんとテンジンさんが初登頂で使用していたアイテムが展示されていた。
本当だろうか。
頼りない。実に頼りない。服も、靴も、アイゼンも、ヘルメットも。
がしかし本当なのだ。
1953年5月29日
この装備で、ジョージマロリーさんの悲願が達成されたのだ。
私はなんだかすごいところにきた。
すごいものをみている。
博物館に来館記念のサインをし、ナムチェまでくだった。
今度はついに目的地のホテルへ向かうため、反対の山を登る。
高度が上がる。
ここで、富士山と同じくらいだ。
富士山に登ったこともないのに結構いけるね、私。と思い、
ヒマラヤ観光に初めて電話をした時の、やりとりを思い出す。
「高山病、大丈夫ですかねぇ」
『おいくつですか?』
「32です」
『若い人は、全然大丈夫ですよ!』
若いかなぁ、、、と思ったが、
そうか、若いのだ。全然いけるではないか。
さらにリンジ予想で帰りの天気が危ういため3日で登る予定だったところを
2日で登っている。高度の順応も、私たちの体はうまいってことか。
だんだん、喋ることが億劫になる。
暑い。
帽子をニットから、ハットに変える。
ホテルはもう、見えている。
汗をかいた頭皮がさっと冷えた。
すると私は一気に吐いた。
冷や汗になった。
リンジさんはすぐに背中をさすってくれた。
『耳が冷えたんだネ、耳を冷やしたらだめだネ』
今後の教訓になった。
滝のように水分を吐くとものすごく楽になった。
そしてやっとこさ、ホテルエベレストビューに到着し、
すぐに私の前にホットレモンが差し出された。
ナムチェバザール
我々は標高3440mのナムチェバザールに到着した。
ここはこの街道の、お町っぽい村である。エベレストを目指すほぼ全ての人が通り、
高度順応のために宿泊したりするため、施設もたくさん整っている。
その名の通り、週末にはバザールが開催され、観光シーズンではとても賑やかになるそうだ。
だがしかし私たちがついた1月は、週末でもなければ観光シーズンでもなく、閑散としていた。
住民たちがちらほら水浴びをしたり洗濯をしたり、子供が遊んだりしていた。
買い物とかしたかったが店がやっていない。
シーズンではないからだ。知らなかった。
『ここでお昼ネ』
とリンジさんに言われるがまま、やっているロッジに入る。
ロッジはいつも素敵だ。壁や天井、椅子に至るまで木がピッカピカに輝いている。
ずっと登りの道でお腹もすいた。
たくさん食べられる。
モモと焼きそば的なものを頼んだ。
うん、美味しそう。
が、この後一口食べて愕然とする。
まずい、、、、
てゆうか、、、
前日泊まったロッジでメニューの写真をみて、コレ!と美味しそうなトマトスパゲッティーを注文した。こんな美味しそうなスパゲッティー食べられるなんて!と思った。
がしかし来てみたら写真と色すらも違うし、全然まずかった。
やはり、外国では、絵と同じものが来ることはない。
私は今後生きて行く上で、もう宿泊施設だけでなく、
食事の写真も信じないことに決定した。
ここで気付いたのは、「麺が同じ」ということだ。
うどんも、スパゲッティーも、焼きそばも。麺が同じなのだ。
それでそれぞれ美味しい料理を作るなんてあり得るだろうか。いや、ありえない。
全て違ってからこそいいのだ。いくら子供の時から、好きのもの『麺類』の私でも全ての料理の麺を一緒くたにすることなど、考えたこともなかった。アレンジどころではない。
ともかく食べれないので、と言っても残すのは悪いので
ここで育てたであろう野菜を残すのは気が引けたので野菜だけ食べ、あとは雄一くんが頑張って食べてくれた。彼は黙々と、私を時々睨みながら完食してくれた。
本当にありがとう。
そう思っていると、リンジさんが来た。
「夕方にはホテルにつくネ、少し違う道を登ると博物館があるんだネ、行ってみますか」
ここまで来たんだからいけるとこにはいってみたい。
ホテルとは逆方向の山に登って博物館を目指す。
サガルマータ国立公園
出発。
ここからはサガルマータ国立公園。
サガルマータとはネパール語のエベレスト。
チョモランマはチベット語のエベレスト。
世界の頂上への道のりスタートです。
(超手前までしか行きませんが)
少し下って行くとすぐに、どん、どん、という音がして
餅つきをしているのかな?と近寄って見ると
彼はお米を潰していた。
米粉を作っていた。そういや朝食べたパンケーキはもちもちで
米粉やん最高!となった。
こうやって作ってくれていたんだと思うと本当にありがたい。
撮影も全然オッケー!と汗だくなのに優しい彼。
愛する家族のためだね。ううううう!
今日はあの山をこえるネ、とリンジさん。
いつの間にかまたポーターさんも来て、4人でヨイヨイ歩き出した。
つり橋を何個か渡った。全ての吊橋に五色の旗がたくさんくくりつけられていて、
タルチョというらしい。橋だけではなく、登山道いたるところにあった。
よく見るとお経が書いてあって風に揺れるとお経を読んだと同じ効果があって、
みんなの安全祈願の意味があるという。
右側から流れて来る川は中国からの川らしい。
はぁ、、、見とれている時間は即、終わり、
ポーターさんや動物優先なので、そそくさと渡る。
ここからは結構な上り坂が続いたのを覚えてる。
でも、途中の休憩ポイントで、
む?
むむむむむむむむ!!!
初めまして私の眼球視神経とサガルマータ!
と、エベレストを直視し、さらに私たちは躍動感溢れ、
ナムチェバザールに向かう!!
モンジョ村
やっぱりスイッチが入らないと全然かけない。
だいたいこの目まぐるしく進む毎日の中で、
4ヶ月も前のことを思い出して書くなんてなかなかできない。
いちおう写真を見返して見る。
そうそう、ここが初日に泊まったロッジ。
まだこんなに明るくて、ゆっくりしたっけ。
ネパールに来る前に、ちょうどエベレスト街道のモンジョ村に、
日本人がいるというTVをやっていたらしく、その時友人から連絡をいただいた。
柔道を教えに来ている日本人の方がいるらしい。
その村に今いるんだなあ、、、と不思議な気持ちになっていた。
とにかく寒くて、とにかくホットレモン。
部屋には簡易的なベットのみ。
(写ってないけど)
ヒモ、持って行ってよかったね、干せたもん色々。
この日からお風呂やシャワーなどない生活が始まった。
体が冷えて、高山病になるし、というか、お風呂などないし、
じゃあ現地の人はどうしてるの?ってリンジさんに聞いたら、
『入らないネ』
とだけ返答。
でも日中、山の水を浴びたり、髪を洗ったりしている人たちはいたから
そういうことなんかなあ、、、
夕飯までの時間は村を歩き、
トイレットペーパーを1ロール買った。
200ルピー。
これもクッソ高いがこれは仕方なし。
日本人特有の、あるのに不安で買っとこう病が発病。
今思えば、みんな人の力でここまで運んで来た物資。
今はどうなってるのかなあ、、、
それが生活の収入源でいた人たちは、どうしているだろう。
この先また、
登山者が訪れるのだろうか。
この日の夜は満点の星空が見えた。
見える星の光はいつもより数多くて、
オリオン座の中にも、こんなに星ってあるんだ
と思った夜だった。
朝早く、カーテンを開け街道をみると、
もうすでに物資を運んでいる人たちがいた。
私ももう、寝ていることはできなかった。
Change
大きく変わる
働き方が
システムが
人々の距離が
変わっていくんだなぁ~
いままでも変わらないものなどなく
変わらずみーんな変わっていくと思うんだけどこれから大きく変わるんだなぁとおもうと
この時代に生まれたことにちょっとワクワクします。
毎日毎日コロナコロナで
ゆっくり文章なんてかけやしない!←
コロナウィルスについて私が1番しっくりくる説は
地球がバランスをとろうとしているとゆうやつ。
地球もひとつの生命体。
地球にとってがん細胞な私たちに起きている今なんじゃないかなぁ~と
思ってしまいます。
もしかしたらマトリックスの世界がはじまってるかも!
ワタシの思い込みがワタシの世界。
人に会えないって、ストレスだけど
今は今で多くの人間がたくさんの気付きを得るチャンスなんじゃないかな。
ワタシはとゆうと
庭にミニ畑を作ったり、山へ山菜採りにいったりと、水汲みにいったりと、
あんまり普段と変わらない生活をしています。人混みは苦手です。
山に行くって人に会わないし、自然の神秘を感じられるしとってもいいと思う。
ストレスも軽減。
足りないものは分けあって、
助け合っていこうよ人間たち!
独り占めは寂しいよ
ちゅーコロナblogでした。