博物館〜ホテルエベレストビューへ

ナムチェから、30分ぐらい登ったところにその博物館はあった。

 

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一番初めに目に止まったのはエベレストにエドモンド・ヒラリーさんと一緒に初登頂したシェルパテンジン・ノルゲイさんの像。

なんていいところにあるんだ。
雲の流れが早いけど、8000m級の山々をバックにとっても眩しい。

 

博物館の中に入ってみる。

 

 


中にはひとっこひとりおらず、この地域の植物、動物、住民、生活様式、登山に関する歴史の展示物があった。博物館、大好き。

 

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『コレ〜、私も登った時だネ』とリンジさんは言った。『ほら、ここネ』

 

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「え!」と私たちは驚いた。

 

本当だ、リンジ・タマンとある。

ただの山好きガイドさんではなかった。そういえば、話をする中で、

日本の山もいいネ、と、北アルプスを登ったことがあると言っていた。

 

ここで私はヒマラヤに来る前に読み漁っていた本の中の

「神々の山領」を思い出す。エベレスト登頂は登山好きの人ならば誰もがきっと憧れる。登るためには私なんかでは想像もつかないようなたくさんの経験、トレーニング、精神力、費用が必要になのだろう。いざ、エベレストを目指して行っても、仲間と協力し体力を温存しながら登り、キャンプを設営し食事をつくり、体力、精神力、ベストな人だけがそのまた上に登り、他の人はキャンプで祈り帰りを待つ。

 

リンジさんもエベレスト登頂を目指したのだろうか。

『私はサウスコルまでネ、へへ』

と彼は嬉しそうに呟いた。

 

急にリンジさんをものすごく尊敬するようになって来た。

思い返してみれば今までのしっかりした足取りも、私たちへ「ビスタリビスタリネ(日本語訳:ゆっくりゆっくりね)」と何度も声をかけてくれる心遣いも、とにかくホットレモンを飲めという指示に至るまで、完璧ではないか。

 

「並んで並んで!」

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ものすごくいい写真だ。

私はこの写真を気に入っている。

雄一くんはまだ白い。このあと彼はネパリー焼けを体験することになる。

 

 

その反対側にはヒラリーさんとテンジンさんが初登頂で使用していたアイテムが展示されていた。

 

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本当だろうか。

頼りない。実に頼りない。服も、靴も、アイゼンも、ヘルメットも。

がしかし本当なのだ。

1953年5月29日

この装備で、ジョージマロリーさんの悲願が達成されたのだ。

 

 

私はなんだかすごいところにきた。

すごいものをみている。

 

 

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博物館に来館記念のサインをし、ナムチェまでくだった。

 

今度はついに目的地のホテルへ向かうため、反対の山を登る。

 

高度が上がる。

 

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ここで、富士山と同じくらいだ。

富士山に登ったこともないのに結構いけるね、私。と思い、

ヒマラヤ観光に初めて電話をした時の、やりとりを思い出す。

 

「高山病、大丈夫ですかねぇ」

『おいくつですか?』

「32です」

『若い人は、全然大丈夫ですよ!』

 

若いかなぁ、、、と思ったが、

そうか、若いのだ。全然いけるではないか。

 

さらにリンジ予想で帰りの天気が危ういため3日で登る予定だったところを

2日で登っている。高度の順応も、私たちの体はうまいってことか。

 

だんだん、喋ることが億劫になる。

 

暑い。

 

帽子をニットから、ハットに変える。

 

ホテルはもう、見えている。

 

汗をかいた頭皮がさっと冷えた。

 

すると私は一気に吐いた。

 

冷や汗になった。

 

リンジさんはすぐに背中をさすってくれた。

 

『耳が冷えたんだネ、耳を冷やしたらだめだネ』

 

今後の教訓になった。

 

滝のように水分を吐くとものすごく楽になった。

 

そしてやっとこさ、ホテルエベレストビューに到着し、

すぐに私の前にホットレモンが差し出された。

 

 

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