エベレスト街道1日目



私たちの今回の目的は、

「エベレストをこの目で見る」

のために、その、頂が見える丘、シャンボチェにある

ホテルエベレストビューまで歩いて行くことだ。

高所に慣れるため、行きは3日、帰りも3日、ゆっくり歩いて行く。

 

車や自転車など、車輪がついている乗り物はもちろんなく、ただ歩く。

なんて素敵なんだろう。歩くことは色々な発見があって面白いから大好きだ。ネバーストップエキスぷローリングだ。


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1日目は、ルクラから、少し高度を落として

2652mの村、パクディンに向かう。

 

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建造物にも目を奪われる。

 

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初めて女性ネパール人でエベレスト登頂したシェルパさんの像。

ネパール地震で壊れて修理中だそう。

 

ネパール地震

帰国してからネパール地震震源地の村のドキュメンタリー映画を見た。

そのお話はまた後でにしよう。

 

ウキウキで歩き始めた私たち。

 

街道ではクーンブ山群の山々や、物資を運ぶポーターさんやゾッキョ、泥だらけだけど自由生きている犬や猫、眼に映るもの全てが眩しい。

 

ナマステーととにかく言ってみる。

日本の山ではこんにちは祭りだが、

ネパールではナマステ祭りを実行した。

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リンジさんは色々な山の名前を教えてくれるがほぼ1回では聞き取れない。

ネパールの人は、Rの発音がすごい。

ベロがベロロロとなる。それに気を取られて聞き逃してしまっていた。

ポーターさんの名前を何度きいても聞き取れないのはそのせいだ。

 

事前の調べによるとトイレは至る所にあるとあった。

トイレットペーパーは持って来てね、とあったので、

モンベルの、自然にかえる紙をチョイスして行った。


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よかった。


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トイレはここ、と言われて最初驚いたが本当に紙が自然に還るタイプにして来てよかった。

 

 

途中馬に会ったり、


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ワンコがずーっとついて来たり、

 



あっという間にパクディンについてしまった。

 

 

 

 

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ランチはネパールカレー。

ダルスープも美味しかった!!

 

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なんとレゲエバーを見つける。

世界一標高の高いレゲエバーかな。

目的地のパクディンにはランチの時間についてしまったので

もう少し進むことにした。

 

2840m、モンジョ村へ向かう。

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出発

世界一危険な飛行場という別名を持つルクラの

テンジン・ヒラリー空港。

30分ぐらいのフライトだったがこの間私はどんどん近づいて行く見事なヒマラヤ山脈を眺めながら、耳栓を舐めた。

綿あめかと思ったのである。

ワタの塊が回って来て、一人づつちぎっていたので綿あめだと思った。

使い回しでないことを祈る。

 

危険な空港というのは、山の斜面に460mしか滑走路がなく、着陸はその斜面にぶつかって行く感じ。離陸は坂を下りて飛び立つ。その下は崖である。

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スリル満点の着陸をコックピットの窓の後方から覗きながら、無事に着陸し、胸をなでおろした。

 

公民館を少し大きくしたような、小さな建物だ。

 

空港を出ると、女性の方と男性の方が待っていてくれて、荷物をロッジまで運んでくれた。リンジさんは早くも楽しそうだ。

 


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ロッジで紅茶を頂き、ほっとしていると、

私たちの荷物を運んでくれる、ポーターさんが到着した。

彼の名は、、、、

彼の名は、、、、

何度聞いても、聞き取れない難しい発音だった。

本当に失礼な私たちである。

シェルパ族の20歳の彼。

私たちの荷物をぐるぐる紐でまとめて、頭に引っ掛ける。

 

「よし、いきましょう」

 

リンジさんの一声で私たちはロッジをでた。

 

 

 

ルクラへ



4時起床。移動疲れはあまりとれていない。

5時には頼んでおいたお迎えが今度はきっちり来てくれて、また空港に向かう。

 

夕べ、早朝からトレッキングにいく、と伝えておいたのでホテルの人が朝ごはん、パンや果物はお弁当にしてつつんでくれていた。ありがたい。

 

空港につくと、今回のトレッキングをガイドしてくれるタマン族ののリンジさんに会い、握手を交わした。日本語もペラペラだし、見るからに優しそうで、人がよさそうで安心した。何より、歯がきれいである。

職業病だが、歯を見てしまう。歯でわかることはたくさんある。人の性格、生活環境、嗜好、なんとなくわかる。これはもう私の病気であり、意図してみているのではないのでそこんとこご理解いただきたい。

 

とにかくこの人はいい人だ。顔に漢字で安とおっきくかいてある。

 

そう思って安心した。

 

昨日のタクシーのおっちゃんは「疑」と顔に書いてあった。

 

手続きを終え、小さな搭乗口でゲートがあくのをまつ。待っている人たちは大きなザックをもち、厚着をしているトレッキングにいく人たちや、日本人と同じような顔立ちをした、シェルパ族の人たち。シェルパの子供ちゃんは、頬を赤らめ、朝からテンションぶちあげでキャッキャしている。もちろん小さいノースフェイスのダウンを着ている。こんな小さいノースフェイス初めてみた。全身ムチムチしててかわいい。

 

リンジさんが

『霧が出てるみたいでネ、チョッと遅れてるみたいネ』と言った。天候が悪いときは何時間もまつと聞いていたのでやはり。と覚悟をきめた。

 

が、1時間も待たずにゲートは開かれた。

ラッキー!である。

20人程度しか乗れない小型の飛行機までは、バスで向かう。とにかく寒い。またバスの時点では視界は悪く霧で、映画の『Mist』を思い出してさらに震える。

 

バスには1人、日本人の女性がいた。

勝手に日本人と断定するがあの方は日本人だ。厳しい目をしていた。これから、1人でトレッキングするのだろうか?

山と食欲と私の見すぎだが

カッコイイ、、、

 

飛行機に乗り込んだら霧も晴れてきた。

本当に小さい飛行機でCAさんだって小柄なのに、背筋を伸ばしてたつことは出来ない。前かがみで出発前の注意をしてくれている姿はなんともシュールであった。

 

これからルクラヘ。

2827m 、エベレスト街道の玄関口へ出発する。



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ネパール1日目

どうしたのだろう?

空港が近いってゆうのに

飛行機は何回も空を回ってる。

乗客たちにこの素晴らしい光景を何度も見させてくれているのだろうか。

なんて優しいパイロットさん!

確かにずっと見ていても飽きない。

 

あとで知るのはカトマンズのトリブバン空港、滑走路がひとつしかない、国際空港である。国内線も国際線もここ、ひとつの滑走路をつかう。その上、高地のため、朝は霧が出ると使えない。

 

だから調整のためぐるぐるしていたのだと、何日もあとに知る。

 

そしてそのぐるぐるのせいで到着時間は2時間程遅れる。

 

ホテルのお迎えは待ってくれているのだろうか。

 

空港を出ると、お迎えや、お客を捕まえようとするタクシーの人やらでごった返していた。ジャマイカを思い出す。

 

あのときも空港の出口の人だかりはすごかった。怖かった。みんなこっち見てる。

 

今回はひとりではないので怖くはない。でも、やはりみんな話しかけてくる。

 

『迎えが来てるからいい!』

と、雄一は言った。

 

が、

見つけても見つけても結局迎えは見つからなかった。

 

『そのホテルならよく知ってるから!つれてってやる!500ルピーでな!』と、最初から最後まで何度も何度も声をかけてきていたおっちゃんにお願いすることにした。

 

スズキの日本では見ない車種のタクシー。

しかもおっちゃんは運転手ではなく、なぜか助手席に乗る。

私たちの荷物は天井のキャリアーに、紐で縛られ固定されたりすることなく、乱雑にのせられた。

 

おおおおおおぃ、ちょっとダイジョブなのかよと突っ込みたくなったがもうこの時点でどうでもよくなってきた。

 

埃っぽい、もうすべてが砂埃で茶色い。

 

道路には車とバイクと歩行者がひしめき合って渋滞している。信号はあっても機能していない。大きめな交差点では真ん中に警官がいて、笛と棒で交通整理をしている。なんで、信号直そう!


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色々話しかけてくるおっちゃんに

別れを告げ、やっぱり600ルピーとか言われ、無事、『ホテルタメル』に着く。


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タメル地区

1番の賑やかなところで、日本で言ったら渋谷みたいなところだろうか。

賑やかな商店街をちょこっと入ったところにホテルはあった。

 

ホテルはまぁまぁ、想像どおりであった。

わたしはもうホテル選びのときの画像はほとんど信じない。それよりも良くないところだと思っているので期待はしない。なので想像どおりであった。

 

もう、暗くなってきてしまったが、

 

明日の為の、山グッズを買いにいかなければ、と町へ繰り出す。

 


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余った電線のぐるぐる巻きに驚く。なぜこうなる?ガンガン車もバイクも歩行者すれっすれで通ってくるし、ボーッと歩いちゃいられない。

 

そのうち一気に街の電気が消える。初めはびっくりしたが、そのうち驚かなくなった。

停電が1日少なくとも3回は起こる。

タメルを夜中歩くときは、懐中電灯か、ケータイのランプはすぐにつけられるようにしておくべきだ。

 

事前の調べ、ネパールを旅したことのある友達の助言によると、山グッズはタメルにたくさん安く売っている。ほとんどニセモノだが荷物にはならない。

 


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本当だった。

 

ノースフェイスのダウンは3000ルピー、刺繍はよくみると雑だが、暖かい、軽い、小さくなる。それだけで充分。もっと値下げ出来たかもしれない。私なんか人生で初めてのMAMMUTのダウンを買った。ネパールの人はみんなこういったダウンを着ている。これいくら?と聞くと、足元から頭のてっぺんまで全部見られてから、値段をつけられていたと思う。

 

ストックは1000ルピー、

オークリーのサングラスだって破格である。

 

買い物を済ませ、ホテルに戻り、夕飯にまたカレーを食べ、次の日の早起きに備えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネパールへいったときのこと

このblogのタイトルを

『わたしのちいさな世界』に決定した。

数多くある世界のなかで

私が書き記してしまう限定された世界だからだ。

 

以下はネパールにいく道中、電車や飛行機でメモしておいたコピペである。

 

ネパールにいく前から、必ず記録しようと思っていた、これもまたわたしの特有のはじめだけあるやる気の成果である。

 

 

満月のよる
ネパールに向けて出発する
お母さんとお父さんとのりちゃんが送ってくれた
のりちゃんの『安全に、楽しんで』を胸にきざむ。
電車では本を読んでいる人が多い。
わたしもヒマラヤの灯を読む。
雄一くんはアミを読んでいる


久しぶりの羽田空港
今年はオリンピックでにぎやかになるのだろう
おなかがすいたのでお蕎麦を食べてから
荷物を預けた
まずはバンコクまで6時間のフライト
夜食にサンドイッチと寝て起きたら朝ごはんの機内食
ずっとLCCが多かったので、機内食が嬉しい
朝ごはんはスクランブルエッグとポテトとソーセージ
期待していたカレーはまだらしい


バンコクに降りると特有の空気の匂いがする
香港でも感じたようなアジアの空気
5時間の待ち時間 朝ごはんを食べたのに私たちはまたお腹がすき、トムヤムフォーと大好きな空芯菜をわたしはいただいた 雄一くんはバーキンが好きなようだ。この人はナントカバーガーとかジャンクフードを海外に行ったときは好んで食べている。わたしはイヤだ。


日本とちがって他のところで買ったものもそこで食べていいらしい 。 少し広い玄関口のようなところに、3つの頭を持った龍?と、それを、左右でひっぱる神様のようなオブジェがおいてあった そこで一度足を止め、手を合わせる人の心を見た


充電をし、トランジットの時間をまつ


空港のショッピングモールの匂いは苦手 ブランドものの香水のにおいや、食べ物のにおい、人間のにおいがまざってきもちがわるくなる


カトマンズ行きの搭乗口でまつ人たちは、インド系の顔立ちになってきた、高まる。雄一は買ったばかりのJBLのワイヤレスイヤホンでガンガン音を漏らしながらおがラジをきいていた 聞こえてきたのは『Birdman』わたしがreggaeではじめてきいた曲だ


わたしは宮原さんの本をざっとだが読んだ。
宮原さんのネパールに、山に、自然に、人間に対する熱意が伝わってきた ホテルエベレストビュー 現地に行く前に読めてよかった


バスにのり、再びタイ航空にのる
今度はカレーのにおいがする!一番後ろの2人用の席で、窓際だったわたしは500円で雄一くんに席をゆずってあげた 食い入るように外をみて写真をとる雄一くんをみているのでわたしはよい。でも500円はもらう。

赤い土がある!ここが一番大きい大陸だ と興奮している
機内食にはカレーがやっぱりきた!これは美味しいご飯が細長い!満足した私たちはまた少し寝る、
ふと、目が覚めると遠くに雲ではない白い塊が見えてきた ヒマラヤ山脈だ! 私たちは興奮して何枚も何枚も写真をとりそして眺めた

 


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以上。

ネパールにつき、飛行機を降りたら、メモどころではなくなってしまった。

 

このあとの埃っぽく、きらびやかな13日間をこれから書いていくことにする。

何度目かわからない、が、書いてみる

と、決めて始めるときが私の人生では何回もある。あった。

昔から、日記も、ブログも始めてみては続かなくなる。

だけど時に文字に興したくなる。そんな波がまたやって来た。しばらくはさざ波のように続き、そして消えていくのだろう。

 

そんな小波がジワジワやって来はじめたのはまず、ネパールにいったことが大きい。いつもの日常から離れたときに感じたことは残しておきたい、、、!と、そう思ったからである。

 

そして、帰国してからは、またいつものバタバタの日常に戻り、書けずにいた。時間がない、とゆう自分への言い訳だ。

 

でもなぜかYouTubeはみれる。そこでふと、吉本ばななさんが言っていた、『すべての人が作家でもよいくらいだ』とゆう言葉が心に残る。

 

その後、文字を書きたくなり、今度は読んだ本のまとめと感想をノートに書き記す。

うん。文字を書くのは楽しい。

 

そしてついに今日、大波がきた。

近所の図書館で借りた本、

『読みたいことを書けばいい。』

田中泰延さんの本で大きめのハリセンで背中を叩かれて、今に至る。

 

はじまるときのわくわくったらない。